宇宙創生④

こんにちは!留美子です

宇宙創生ブログ、第四弾となります

前回の宇宙ブログの最後に書いたように、

今回は広島県府中町にある

『多家神社(埃宮)』へ行ったときのお話しをしますね



この神社は
神武天皇が九州を出発して、
本州で立ち寄った場所の一つといわれています


神武天皇は美々津から船で大和へ向かいましたが、
この時のルートが

美々津港(宮崎)

大入島神の井(大分)

早吸日女神社(大分)

宇佐神宮(大分)

岡湊神社(福岡)

岡田宮(福岡)

といったように、九州を北上しています

そして、九州を離れてからの
本州に上陸してすぐに立ち寄ったのが、
広島県府中町の多家神社(埃宮)
といわれています


同じ広島に住みながら
神武天皇に興味を持つまで
府中町に寄られたとは知りませんでした




『多家神社(埃宮)』
由緒ある神社なんですね




『多家神社(埃宮)』の参道をあがると綺麗な景色が見えます




本殿です





まだ、新しい感じです

参拝させて頂きました


帰りには

多家神社の横に流れている
府中大川を、海に向かって車で走ってみました


途中で猿猴川と合流しています


猿猴川の下流は
マツダの工場がひしめき合っています


もう少しで海、というところで
マツダの建物が建っており

海まで出れませんでした


迂回して
海まで出てみます

のどかな瀬戸内の海です




海を眺めながら、
色々と疑問が浮かんできました

1.
どうしてあんなに本殿が新しかったんだろう


2.
九州はわりと各所を巡っての移動なのに
なぜ福岡から広島なのか?
山口は立ち寄ってないのか?

3.
何故府中町なのか?
広島県だと、
宮島や住吉神社、白神神社辺りに寄られそうなのに、
わざわざ海岸からかなり離れている場所に?
(埋めたにしても結構、離れていると思う)



家に帰って、府中町の歴史を調べたところ

松崎八幡と総社がケンカして
両方が神武天皇の神社と揉めていたため、

明治4年(1871)
広島県の斡旋により、松崎八幡と総社を廃し、新たに一社を設けることとなりました

社地は両社の中間且つ、神武天皇駐蹕所埃宮の伝説をもつ誰曾廼森に決定

広島城三の丸稲荷社の社殿が移築され、明治7年(1874)に多家神社が創建

総社と松崎八幡宮は廃社となりました
この時、紛争の元になるという理由から両社の古文書・古記録の類は全て焼却されてしまったということです

古文書を焼いただなんて…
とても残念です…

歴史的には埃宮がまずあり、そこに神武天皇が立ち寄られ、
その後、その場に多家神社が建てられたんですね

だから新しく感じたんでしょうね


そして
本州で初めて寄られたのが広島なのではなく、
山口県でも徳山に寄られてるみたいです

こうして神武天皇の立ち寄られた場所を見てみると、
広島県はたくさんあるみたいです

そちらの紹介についてはまた今度ブログにしますね


そして、最後の疑問
何故府中町なのか?

これは昔の地図を見たら何となく解決でした



こちらは
14世紀頃の広島港頭の海岸線と街道(想定図)です


これより古いものが見つからなかったため、
神武天皇が大和を目指した8世紀ごろとは、600年ほど違っており、
また地形は違うかも知れませんが…

なんにしろ、14世紀時点でも
住吉神社も白神神社も存在していないことが分かります

多家神社(えの宮)は
海岸線に位置し、入江になっているので船を止めやすかったのでしょうね

今回はあまり宇宙との関連は見つけられませんでしたが、
きっと深く知っていくことで見えてくるものがあるのだと思います

分かったときにはまとめてみますね

歴史を検証してみるのもとても興味深いです


次回のブログでは、
先ほどもお伝えしたとおり、
神武天皇が広島県でどんな所に寄られたかについてお話ししますね

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