押戸石の丘②

こんにちは、なつみです

前回のブログでは、
なぜ阿蘇の地にある巨石遺跡「押戸石の丘」にシュメール文字が…!?

というところで終わりました


(前回のブログはこちら)

シュメール文字を使っていたシュメール人とは、メソポタミア文明の初期を担っていた民族です



メソポタミア文明は世界最古の文明といわれています


ですが

実はそれよりも前に日本には文明が発達していました


それこそが「縄文文明」です



メソポタミア文明は紀元前約9000年といわれていますが、
日本の縄文時代を文明とすると、なんと紀元前1万6000年よりも古くから始まっているのです

実際に青森では約1万6000年前の縄文式土器のカケラが発見されており、現存する中で世界最古の土器とされています



縄文人は自然と共生して過ごしつつも、高度な文明を持っていた民族です

青森県の三内丸山遺跡の集落の周りにはクルミの木が生い茂っており、そのことから、縄文人はクルミの木を人工的に植栽して集落の周りをクルミとどんぐりの木でぐるりと囲んで森を形成していたことが分かっています

また魚は、頭を捨てて鯖とマグロを日干しにして食べていました



縄文人の生活は、「正円」を意識して作られていました
村全体が円形に配置され、中央には祭りの場がありました
更に、家の一つひとつも、すべて円形で作られており、冬至の朝に東門の方から光が中心に差し込むように配置されていたのです

これは、宇宙と一体になる「ワンネス」の考えに共通するものです



空間と一つになると、人々の魂も一つに結ばれ、調和のあるつながりが、深い魂の結びつきを実現させるといわれています

円形だと、中心を意識しやすいのです
円形にいるみんなが中心に意識を向けることにより、エネルギーは集約し、一つになります


また、縄文時代の人たちは、北枕で寝ていました

北とはそもそも「気多」

地球は巨大な磁石ですが、そこに存在するすべてのものは地球と同じように磁気化されていて、それは私たち人間も例外ではありません

頭を北の方角に向けて寝ると、夢を鮮明に覚えていられたり、頭が冴えてスッキリし、多次元の情報に簡単にアクセスできるといわれています



このように、高度な知識を持ちつつ、自然エネルギーと共存して過ごしていた縄文人

彼らのDNA分布を調べると、大陸全般に広がっていることが分かっています

特に朝鮮半島が一番多く、次に中国、インド、そしてヨーロッパでも多くの縄文人のDNAが発見されています

しかし、大分県の大学教授が、改めて、縄文人の男性DNAの分布図の研究を行った際

その多くは日本以外では3ヶ所に集中しており、他の地域では殆ど発見できなかったのです

その場所は現在のイスラエル、中国内陸部、インドの南端だったそうです


ここから推測される縄文人たちの軌跡は、男性だけで日本を出発し、大陸に着くと、辿り着いた集落に一定期間滞在定着して子孫をつくり、産まれた男の子たち全員を引き連れて、また旅に出かけたということです

村で産まれた縄文人の遺伝子を引き次ぐ女性は、その集落で広く繁栄してして残され、大陸中に広がっていき、
縄文男性の遺伝子は、痕跡を残さずさらに旅を続けていき、数年後に日本へと戻ります

その結果が、DNA分布の男女差として現在残っているというわけなのです



シュメール文明は突然として現れた文明といわれています
というのも、シュメール文明は高度な天文学、数学、都市の古代遺跡などを持っていたにも関わらず、その周辺には全く文明の遺跡のかけらがただひとつ発見されていないからです

文明とは、人が集まり、生活をして、生きていく中で工夫やルールが生まれ、花開いていくものです

ところがシュメール文明では、いきなり忽然としてシュメール人が現れ、超高度な文明が築かれているのです



・世界中に旅をしていた縄文人
・突如生まれたシュメール文明


ここから導き出される答えはなんでしょう?、、、

もうお分かりですよね

そう

つまり、シュメールの地に突如現れたシュメール人こそが、日本から旅をしてきた縄文人だということなのです

縄文時代は紀元前4000年まで続いた、とても長い文明です

シュメールで文字を生み出した縄文人たちが、日本に帰ってきて、阿蘇の地の巨石遺跡を作り、シュメール文字を刻んだとしても、なんの不思議もありません




ラピスでは去年より、こうした世界の歴史
宇宙の歴史を紐解くセミナーをしています

そのため、
どうしてシュメール文字が刻まれているのか
なぜ縄文人は旅をしたのか

そこは分かっていました

だからこそ、
こうして実際に現地で歴史の証拠となるものを見ると、
これまでは「へー不思議だなぁ」
で終わっていたものが
「なるほど、だからなのか」
と、本当の理解に通じることができます

知ること、触れること

両者ともに経験することで

理解することにつながるんですね


とても興味深い場所でした

また、巨石群だけではなく
カルデラの後ろに広がる「火砕流台地」



阿蘇山の噴火により流れ落ちた火砕流が、長い年月を経て侵食が進み、現在のなだらかな波打つ大地となりました

余りにも広大な景色に圧倒されました




本当にオススメの場所です
機会があれば、ぜひ行ってみてください






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