留美子です
宇宙創成、5をお送りします
これまでのシリーズはこちらから
宇宙創生①
宇宙創生②
宇宙創生③
宇宙創生④
今回は、
広島で神武天皇が立ち寄った所をご紹介します
1.厳島
神武天皇は広島県沖に達したとき、
まず宮島の南端の須屋浦に上陸し現在の厳島神社の地にしばらく滞在しています
2.廿日市市地御前
宮島を出発した神武天皇は
地御前の地御前神社の地に上陸しました
神社西側の入り江を有府水門といい、ここに着岸されたといわれます
3.廿日市市串戸
地御前で休息の後、海岸に沿って船を進め
串戸に入り広田神社の地(近くに天王址碑あり)に着きました
天皇が天王社(広田神社)の御戸を開き玉串を奉典し奉ったことにより、
串戸と名づけられたといいます
4.廿日市市宮内
串戸から更に御手洗川に沿って奥地に入り、
宮内の大幸の八坂神社の地でしばらく滞在されました
天皇がしばらく滞在したため宮内と呼ばれるようになったとされます
5.広島市古江
その後広島市古江に上陸し現在の八幡神社の地にしばらく滞在
ここを多紀理宮といいます
6.安芸郡江田島町切串
江田島に渡り、切串の長谷川の河口にある丘陵地に宮をつくりしばらく滞在
洪水にあったために府中町多家神社の地に移動
埃宮とは江の内の意味で広島湾岸を意味しています
7.安芸郡府中町多家神社
ここは前回、ご紹介した神社です
ここはかなり長く滞在したようで、この滞在中に
矢野や船越方面にも出向いているようです
多家神社を基点として方々を巡回後は、呉市天応(立ち寄り伝承あり、天応の名も天皇の立ち寄りからつけられる)、
呉市(賊退治伝承あり)と経由し、海に出ました
蒲刈島南方海上を東へ向けて進行中、南風を受け船の梶が折れたために、上下蒲刈島の間の三ノ瀬に船が入りこんでしまいます
下蒲刈の向浦に着岸し天頭山の岸辺で船を修繕
このとき蒲を刈ったので、ここを蒲刈と名づけられました
そこから内海に出てさらに東へ進みます
その後、
因島、尾道、福山と経由し
岡山へ向かわれたそうです
このように神武天皇は広島県にかなり多くの伝承を残しておられます
前回のブログでもご紹介した、7.多家神社には七年もの間滞在されたそうです
さて、
これを宇宙観点からみると、
なぜ神武天皇は広島を主要拠点としたのか?
というお話になりますが¨
これは、最初に立ち寄った、厳島神社が大きく関係しているのではないかと思うのです
有名なチャネラーであるリサ・ロイヤルは
著書『宇宙人遭遇への扉』で
宮島周辺はプレアデス人と深い関わりがあったと記しています
宮島周辺には大規模な宇宙人の複合都市があり、
通信基地、遺伝子実験、教育、居住地域をそなえ、
大文化交流センターでもあったそうです
弥山は肉体は滅んでも
魂は永遠であることを学ぶ場所だったらしいです
また、
渡辺綱吉氏著「安芸の宮嶋吉備の高嶋宮」
によると
厳島神社の本当の祭神は神武天皇ではないかと書かれています
昭和15年の「厳島神社御由緒等調査記」には、
神武天皇が厳島を訪れており、
島内の山中には巨石を用いた祭祀の痕跡が残っている
これも神武天皇が祭祀したものと記されています
つまり、
宇宙との交信に使う拠点として使うために
長期滞在したのではないか…
と捉えることができます
宇宙都市、広島
そう考えると
ワクワクしますね
それではまた次回をお楽しみに
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